廣田神社
廣田神社は日本書紀に、神功皇后摂政元年(西暦201年)、天照大御神荒御魂の御神誨により、
三韓出兵帰還途次の神功皇后・胎中天皇により武庫の地・廣田の国に社を創建された事が
記されている。その後も国史書の随所に廣田神社の記事があり 上代から中古にかけて国家的な
規模で国家鎮護・天地自然・立身出世を司る神として多くの関心を集め、厚遇されていた。
白河天皇の時、全国神社に冠たる22社の1社に選ばれた。
明治7年には境内地を割譲し末社・戎社(後の西宮神社)を県社として独立させている。
「西宮」の語は律令国家時代の太政官と並び、国の神事を司った神祇官の日誌にも廣田神社への
度々に瓦る参拝を「西宮参拝」「西宮下向」と記され、村上源氏・神祇伯白川家一族の廣田神社に
おける歌合の会は「西宮歌合」と称され、「伊呂波字類抄」や「二十二社註式」「簾中抄」にも
「廣田社、世俗西宮と号す」「廣田社、西宮也」とありますように、「西宮」を廣田神社の別称として
中古から一般に認識されていた。
現在は本殿、脇殿四社に加え、境内に延喜式内社・伊和志豆神社を始め摂末八社、市内各所に
延喜式神社・名次神社(ニテコ池西岸)、同・岡田神社(市内岡田山)、南宮(西宮神社内)等、
境外摂末社十二社を所管し、年間750度を越す祭儀を厳修している。(廣田神社略記による)

兵庫県指定天然記念物「コバノミツバツツジ」が外苑内に群落を形成している。
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    大鳥居
    参道の松並木
 大鳥居から100m以上続く
  (大鳥居の方面を撮影)
   社付近の参道
阪神大震災で崩れ新設された
拝殿とその奥の本殿
  拝殿とその屋根
  横からの拝殿
 拝殿下手にある
   松尾神社